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なぜ泳ぐのか

この年齢になっても競技を続けていると、
なぜ泳ぐのか、という基本的なことを、
よく考えるようになる
 
0歳8ヶ月から
プールと共に人生を歩んできたけれど、
子供の時と、学生の時と、そして今と、
自分にとって泳ぐことの 意味 は、
どんどん変わったように思うな🙃
 
 
幼少期の泳ぐことの意味は
"ならいごと"
 
上手に泳げるようになりましょう、と
コーチに言われて、その通りに頑張る
これも大切なこと
 
 
選手クラスにあがりたてのころは
"速く泳ぐため"に泳ぐ
 
基準は自分で、
"毎日泳ぐこと"が
日常生活になっていった
"速く泳ぐ"は競技者として
絶対に持っておかなければならない意識!
 
 
多くの大会に出始めたころは
"勝つため"に泳ぐ
 
全国大会に出て、優勝をして、
それが自分の強みで、生きがいで、
人に勝つことが大切
 
泳ぐ意味なんて考えもせずに、
とにかく勝つために泳ぐ
 
山岳家が言うように
"そこにプールがあったから"レベルで泳ぐ
少し義務感もでてくる
 
 
大学生になると、上記に加えて
"チームのため"に泳ぐ
 
インカレが特徴的で、
団体戦の意識を持って戦っていたように思う
でもやっぱり主体は自分
 
 
ここからがちょっと変わってきて、
 
社会人でセミプロでやらせてもらっていた時は
"会社のため"に泳ぐ
 
泳がせていただいている、
という意識が強すぎて、
自分主体でなくなった競技
精神的に辛くてしんどくて、
細かいことはあんまり思い出せない笑
 
でも、泳ぐことをやめてしまったら
自分の価値がなくなってしまうんじゃないかって
怖くてなかなかそれも出来ずに
しんどい1年をすごした
 
もっとのびのびやればよかったのにな、
と今になって思う
 
 
競泳引退後、フィンスイミングを始めたころは
"自分のため"に泳ぐ
 
一周まわって、元に戻ったような気持ち
自分の意思で、自分のやりたいように
自分のペースで泳ぐ
楽しく泳げるようになった
 
 
そして今、フィンスイミングを始めてから丸10年
 
競技者としてあるならば、
"勝つこと"とか"競うこと"が
目的であるべき...とは思うけど、
 
最近は、競うことが好きなのか、
それとも単純に泳ぐことが好きなのか、
って葛藤があって
(葛藤する必要もそもそもないかもしれへんけど)
 
世界選手権コロンビア大会までの過程とか
色々思い出して、
 
わたしは何が好きで、
何のために泳いでいるのか、
 
って、自分の中で1番納得出来た答えが、
 
 
"頑張ってる自分に会うため"に泳ぐ
 
 
子供の頃って、なんでも全力で、
"頑張る!"って機会が多いように思うけど
 
こんなに大人になると、
"がんばったーーーーーーー!!!!"って
思える瞬間が減ってくるよね
(そもそも子供の頃とくらべて"がんばった"
の、ハードルが上がってるのもある)
 
練習でヘロヘロになったり
試合でド緊張したり
大人になるとこういう刺激が減ってしまって
なかなか"頑張ってる自分"に会えなくなる
 
 
泳ぎに行くと、
大会に出ると、
頑張ってる自分に会えて、
それが好きで楽しいんやな、って
最近気づいた
 
だから、わたしは、
"競うこと"にはこだわらなくなるかもしれないけれど、
"泳ぐこと"を続けると思うし、
 
これからも頑張ってる自分に会い続けたいなと思う!
 
 
なので、泳いでる私を見たら、
"がんばってるねーーー!"と
声をかけてください。笑
 
まる。