お水の中がお好き

水族館に住みたい

くやしい が だいじ

将来の夢は、オリンピックで金メダルをとることです。

って、小学校、中学校の卒業文集に書いていた。

これがもし実現してたら、
きっと、有言実行!ってニュースなんかでも取り上げられていたんやろう。


人生は、そんなにうまく出来てはいない。

…でも、これまでの私の人生は、豊かであった。と思う。



突然やけど、振り返ってみよう
小学生時代、わたしの競泳選手としての基盤が出来たとき。覚えていることを、ここに。


小学1年生の時に選手育成クラスにはいって、
小学2年生で長水路デビュー。

オーバーフローのプールでしか泳いだことがなかったから、タッチ版の上をつかんでターンをした。笑

朝練が嫌いで、泣きながら行って、

でもそれがいつの間にか習慣化していた。

習慣化は、"嫌だ"とか"面倒だ"という気持ちを、なくしてくれる。

何事も、長く続けるには、
"やってあたりまえ"にしてしまうのが、
1番手っ取り早い方法。


小学4年生の夏。
初めてのジュニアオリンピックで、200m個人メドレーで17位。
同じスイミングスクールの先輩は、決勝に残っていて、自分は決勝に残れなくて、泣いた。

コーチは、
さきはまだ、このクラスは年上のお姉さんたちがいるから、勝てないねって。
初めてにしたら上出来やでって。

でも私は、悔しくて泣いた。


小学4年生の春、ジュニアオリンピックで、初めて決勝に残って、5位になった。
3位が同着2人で、4位がいなくて、5位。
3位の子は、近くのスイミングスクールの子で、いつも勝てなくて、ここでも負けて、悔しかった。

たくさんの人が応援にかけつけてくれて(スイミングスクールのおえらいさんとかおえらいさんとかおえらいさんとか)、緊張したなーってことは覚えている。

小学5年生の夏は、
11歳〜12歳の標準にはいきなりは届かなくて、ジュニアオリンピックには出られなかった。

春は出場したはず…平泳ぎと個人メドレー
小学5年生の中で1番やったってことだけ覚えている…何位で何秒やったかは全く覚えてない。🙅🏻‍♀️


小学6年生の夏は、とびうお杯で優勝。
100m平泳ぎ。1分16秒。
大会の歴代記録、2位。1位は岩崎恭子さん。

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でも平泳ぎの選手になる気持ちはなくて、個人メドレーが好きやった。

個人メドレーは2位。同い年の女の子に負けた。開催地の地元新聞に載ったライバルの記事を何回も読んだ。悔しかった。

"好き"と"得意"が違うことになかなか気づけないところは、この辺りからも伺える🙄笑
※後日記述予定(予定は未定)


小学6年生の春のジュニアオリンピックは、初めてのメダル、みっつ。
金、銅、銅。
200m個人メドレー 優勝。

おぼえていることは、
自分は強いと、自信を持って。
あまり気負わずレースをしたこと。

1番エントリー、1番通過、優勝。
無双…。笑

学童記録と日本選手権の標準が切れなくて、悔しかった。

200m自由形 100m平泳ぎで銅メダル。
平泳ぎは、4位の子と100分の数秒差で、タッチ差やったな!と、コーチに褒められた😊

大阪に帰ったら、
スイミングスクールには大きく私の名前が貼りだされていて、おえらいさんたちも来てくれて、ちやほやされた。

クロールと平泳ぎの3位の事は、みんな触れてこず、金メダルの話ばっかり聞かれた。

金メダルって、すごいんやなって思った。

わたしは、銅メダルがかわいそうになって、金メダルより銅メダル達をかわいがった。笑


このあたりから、
大きくなったらオリンピックに出る!っていいだしたかなあ。。。

そして、
ここまでの過程で全てに共通することは、
悔しいっていう気持ち。

これが、私を強くした。

節目、節目で、
"悔しい"を毎回感じられて、
その度に奮起した。

満足せず、常に高みを。
そして、それが出来るって、信じていたし、登るしかなかった小学生時代😊

ただ、がむしゃらに取り組んでたなあ。

単純に身体も大きくなるし、練習する度に速くなったね😊

この後、自分が大変なスランプを迎える事になるとは、考えもしなかったやろう。笑

悔しいと思えるだけの練習をして、
明確な目標を掲げて競技ができることは、
簡単なことではなかったんやと、
改めて、いま、感じる。🌱

大人になった今、

競技者である限りは、
少しでもこういう気持ちを持って、

取り組みたいな〜と、
思ったり、
思わなかったり…。